世界を明るく照らすもの

本当の自分を無視して生きるって、
誰に無視されるよりも孤独なこと。


私が人生の中でリスクを取ってでも取り返したいもの。
それは人の顔色を伺わず、本音で生きる自分。




同年代の女性とはだいぶかけ離れ突っ走ってきて、
振り返ったらだれもいなかった。
けれど不思議と今まで感じていた
孤独な気持ちは消えていった。




子供の頃、父がくれた言葉で

「たとえ世界中、すべての人間が反対をしたとしても、
自分が思うことは曲げちゃいけない。諦めたらダメだ。」

気がつくと、大人になった今でもこの言葉が
道を照らしてくれている。




どんなに傷ついても、転んでも、何があっても、
世界中が私の反対をしても。

だけど。それは我が強くて、どちらかといえば
スマートな生き方ではないかもしれない。




私は今までそんな自分のことを好きになれなくて、
「聞き分けのいい私」という顔を作って
いつの間にかそれが自分だと信じてきた。




でもね。




聞き分けのいい私ばかりを採用していると、
どんどん後の方にしわ寄せが来る。
そんなことにも気がついた。




ツケは誰かが払ってくれるわけじゃない。
たとえ誰かが養ってくれても、
誰かが責任をとるわけじゃない。

どんな不満な人生でもその責任は自分でとるもの。
男とか女とかそんなことは関係ないのだから。
 
「自分さえ我慢すれば平和なんだ…」
そうやって得られる平和は長続きしない。
むしろ犠牲は戦争のエネルギーを強くするでしょう。




今、そしてこれからの時代は
「個人の時代」と言われているけれど。
自分自身として生きることを
ますます突きつけられる。

そこから目を逸らしてきたのなら
向き合うのはしんどい部分もあるけれど、
目を向ける価値は十分すぎるほど感じられる。




個人の時代は一人で強く生きると言う意味ではなく、
周りとの関係性がより大切になってくる。

だからこそ、周りの顔色を伺うのをやめること。
そして自分が持っている我の強さを自覚して、
自分と相手を幸せにするために使う。




それが、
大人の我の強さと
子供のわがままの違うところ。
 
我が強い人間は世界を明るく照らす。


長いことブランディングを会社で学んできたけれど
大切なことはこうやって
実地で手探りでみつけるもの。

自分自身のブランディングと向き合ってみて
ようやく宝物を見つけた。

小笠原は長野県で代々米作りをしてきた一族。
写真は毎年分けてもらっているお米。
 
玄米と胚芽米を1:3にして
土鍋でふっくらと炊き上げる。
 
これを食べて育った私にとって
この上ないパワーフード。

時代は変わるけれど、
それに合わせて姿を変えながら
引き継げる文化もあるだろう。





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